天草には橋が似合うというか、橋が無いと行き来ができない嶋です。
まず三角から大矢野島にかかる橋が「天門橋」です。
今その天門橋に新しい橋がかけられつつあります。
天草の橋
天門橋展望台から左が新橋
三角西港からの天門橋
魚藍観音
魚藍観音
招魚観音
天草市河浦町宮野河内を牛深方面に走っていくと、左側小高い丘に魚藍観音と招魚観音の2体を祭った公園がある。
漁業の振興と漁師の安全祈願を祈って設置されている。
漁業の振興と漁師の安全祈願を祈って設置されている。
竜王宮
竜王宮の看板
竜王宮の説明板
祠の中の竜王
天草市魚貫崎の池田の池近くに竜王宮がある。
近くの池田池には大蛇が棲んでいたといわれ、その大蛇を神として祀っている。
魚貫崎地区には大蛇にまつわるさまざまな伝説があり、石祠には「天保11年庚子12月15日建立 久玉組惣代 大庄屋中原三郎左衛門 庄屋佐々木篤一郎」と刻まれており、古くから信仰されていたらしい。
近くの池田池には大蛇が棲んでいたといわれ、その大蛇を神として祀っている。
魚貫崎地区には大蛇にまつわるさまざまな伝説があり、石祠には「天保11年庚子12月15日建立 久玉組惣代 大庄屋中原三郎左衛門 庄屋佐々木篤一郎」と刻まれており、古くから信仰されていたらしい。
大蛇池(池田の池)
大蛇池(池田の池)全景
大蛇池の案内板
天草市魚貫崎池田にある池は、外海からの波により砂礫が堆積してできた池で、東西175m、南北330m、周囲800mにもなる天草最大の池である。
この池には古くから大蛇が棲んでいたとされ「大蛇池」と呼ばれている。
池の端に立つと大蛇か龍が棲んでいそうな気がする。
この池に棲む大蛇が天草町大江の「お万が池」に棲む恋人の所へ通ったといわれ、その通路になる田畑は荒れるため、「日輪碑」を建てて陸路を阻んだら、大蛇は海を渡るようになり、大しけが続いたそうだ。
この池の水は船に積んでいけば腐ることもないといわれ、船乗りに重宝がられた。
この池には古くから大蛇が棲んでいたとされ「大蛇池」と呼ばれている。
池の端に立つと大蛇か龍が棲んでいそうな気がする。
この池に棲む大蛇が天草町大江の「お万が池」に棲む恋人の所へ通ったといわれ、その通路になる田畑は荒れるため、「日輪碑」を建てて陸路を阻んだら、大蛇は海を渡るようになり、大しけが続いたそうだ。
この池の水は船に積んでいけば腐ることもないといわれ、船乗りに重宝がられた。
えびす神社
鳥居とえびす像
境内の花手向け 亀の石像
天草市新和町を牛深市方面に行くと中田港を通る。
中田港をいつも見ているのがえびす神社である。
鳥居とえびす像と花を手向ける所があるだけの小さな神社であるが歴史を感じさせる。
漁獲の豊漁と、漁民の安全を祈願しているのであろう。
中田港をいつも見ているのがえびす神社である。
鳥居とえびす像と花を手向ける所があるだけの小さな神社であるが歴史を感じさせる。
漁獲の豊漁と、漁民の安全を祈願しているのであろう。
宮崎敬介の石像
宮崎敬介の石像
碑文
有明町島子出張所の入り口に石像がある。
その碑文はすべて漢字で書かれている。
「宮崎敬介君本郡本邨人也年二十四発憤上京極神学後遊学米国帰来入実業界於大阪為各種大会社社長皆挙其続名声遍海内君有成功如以恙職由縁守信義君越欧米考査電気事業労使問題注心於公益義助郡公会堂及島子村振興基金数万金昭和三年十月卒享年六十四特旨追叙従六位噫君生辺取為財界出巨頭可謂偉並郷心懐其徳建君之石像鐫略歴伝之於後見使叺有所興起」
要約すると
「宮崎敬介さんは天草郡有明町の人で、24歳で上京し、神学を究めてアメリカにわたり、帰国後は実業界に入り大阪のために大会社の社長などをして名声をあげ信義で電気事業の労使問題に心をそそぎ、天草郡の公会堂や島子の振興基金3万円を贈った。
昭和3年10月64歳で亡くなった。其のとき従六位の叙勲を受けた。宮崎敬介さんのために石像を建て、その略歴を刻み後世のために伝えよう。」
ということである。
その碑文はすべて漢字で書かれている。
「宮崎敬介君本郡本邨人也年二十四発憤上京極神学後遊学米国帰来入実業界於大阪為各種大会社社長皆挙其続名声遍海内君有成功如以恙職由縁守信義君越欧米考査電気事業労使問題注心於公益義助郡公会堂及島子村振興基金数万金昭和三年十月卒享年六十四特旨追叙従六位噫君生辺取為財界出巨頭可謂偉並郷心懐其徳建君之石像鐫略歴伝之於後見使叺有所興起」
要約すると
「宮崎敬介さんは天草郡有明町の人で、24歳で上京し、神学を究めてアメリカにわたり、帰国後は実業界に入り大阪のために大会社の社長などをして名声をあげ信義で電気事業の労使問題に心をそそぎ、天草郡の公会堂や島子の振興基金3万円を贈った。
昭和3年10月64歳で亡くなった。其のとき従六位の叙勲を受けた。宮崎敬介さんのために石像を建て、その略歴を刻み後世のために伝えよう。」
ということである。
ヘゴ自生地
ヘゴ自生地の石碑
熊本県の天然記念物の碑
天草市河浦町宮野河内には熊本県の天然記念物のヘゴの自生地がある。
昭和40年に天草ではここだけしか見ることが出来ないと言う事で、昭和44年3月に熊本県
の天然記念物に指定されている。
昭和40年に天草ではここだけしか見ることが出来ないと言う事で、昭和44年3月に熊本県
の天然記念物に指定されている。
大宮地浄水場
浄水場入り口の看板
浄水場近く
宮地岳町から碇石を通り大宮地方面に進路をとると右手に「大宮地浄水場」の看板が見える。
しばらくいくと、「浄水場」と「配水地」がある。
更にいくと左手に九州電力の水力発電所が見えてくる。
少しの水も無駄にしないという先人の知恵であろう。
残念なのは少し下ったところの中山集落入り口のところの圃場整備したところだ。
せっかく圃場整備したのに耕作放棄地なのか雑草が生い茂っている。
しばらくいくと、「浄水場」と「配水地」がある。
更にいくと左手に九州電力の水力発電所が見えてくる。
少しの水も無駄にしないという先人の知恵であろう。
残念なのは少し下ったところの中山集落入り口のところの圃場整備したところだ。
せっかく圃場整備したのに耕作放棄地なのか雑草が生い茂っている。
天草のダム
教良木ダム
五和東ダム
楠浦ダム
楠浦ダム
天草はダムが多い所でもある。
教良木ダム、赤木ダム、楠浦ダム、上津浦ダム、五和ダム、五和東部ダム等である。
それぞれのダムには灌漑用など用途も色々である。
教良木ダム、赤木ダム、楠浦ダム、上津浦ダム、五和ダム、五和東部ダム等である。
それぞれのダムには灌漑用など用途も色々である。
上天草・蔵蔵
天草・島原の乱と天草四郎の看板
東郷青児画伯ゆかりの屋敷の看板
天草四郎が使ったといわれる井戸 看板より
上天草市維和島の蔵蔵漁港近くにはスポットが沢山ある。
○東郷青児画伯の父東郷鉄造生家の跡地
○天草・島原の乱の「天草四郎」が産湯を使った井戸
○天草四郎の母の生家の跡
○東郷青児画伯の父東郷鉄造生家の跡地
○天草・島原の乱の「天草四郎」が産湯を使った井戸
○天草四郎の母の生家の跡
親崎の竜神様
親崎竜神様の看板
竜神様の銘板
昭和35年建立の祠
本渡から新和を抜けて、河浦に入る手前に親崎鼻がある。
そこに「親崎竜神」を祀っている。
その銘板に曰く
「親崎の竜神様は雨乞いの神様である。僧をたのんで読経のあと僧を水につけると必ず雨の降るという伝説の神様です。建設年月日は不明。現在は旧6月29日(8月第2日曜)に宮総代4名、各区長4名が参加し、庵の斉藤僧侶の読経後、お神酒をあげる祭事が続いています。」
祠は「昭和35年8月 長男 蓑田武 再建」としていた。
裏には「奉納 大正7年5月10日 故蓑田丑造 建立」 と記されている。
そこに「親崎竜神」を祀っている。
その銘板に曰く
「親崎の竜神様は雨乞いの神様である。僧をたのんで読経のあと僧を水につけると必ず雨の降るという伝説の神様です。建設年月日は不明。現在は旧6月29日(8月第2日曜)に宮総代4名、各区長4名が参加し、庵の斉藤僧侶の読経後、お神酒をあげる祭事が続いています。」
祠は「昭和35年8月 長男 蓑田武 再建」としていた。
裏には「奉納 大正7年5月10日 故蓑田丑造 建立」 と記されている。
注連縄
一年中飾られている注連縄
一年中飾られている注連縄
正月用の注連飾りは各家の玄関に飾っているが、天草地方ではどこの家も一年中玄関先に飾ってあり、奇異に感じたのは筆者だけではないだろう。
古老に聞いたが、「昔からしているので、意味はわからない。」といわれた。
そのため、数人の古老に聞いてみると、「天草はキリシタンが多い。キリシタン弾圧に関係しているのではないか。」「注連縄を下げることで、神道であるということを誇示しているのでは」
などといわれたが、わからない。
誰か詳しいことを知っている人がいたら教えてほしい。
古老に聞いたが、「昔からしているので、意味はわからない。」といわれた。
そのため、数人の古老に聞いてみると、「天草はキリシタンが多い。キリシタン弾圧に関係しているのではないか。」「注連縄を下げることで、神道であるということを誇示しているのでは」
などといわれたが、わからない。
誰か詳しいことを知っている人がいたら教えてほしい。
袋池伝説
袋池(森の上は富岡城)
袋池伝説の看板
苓北町富岡城の下に「袋池」がある。
この池は深い木々に囲まれているが、水面には不思議にも一枚の木の葉も落ちていません。
「昔、あるお米屋さんに美しい娘がいました。
その父親が、お米を仕入れるときは大きな枡で買い、売るときは小さな枡で売っていました。
娘はやめてくれるように何回も頼みましたがやめてくれません。
悲しんだ娘は、この池に身を投じて龍となり、この池の主になりました。
それからというもの、毎朝早くまだ暗い頃、龍は娘の姿になり、水面を掃除しているということです。」
この池は深い木々に囲まれているが、水面には不思議にも一枚の木の葉も落ちていません。
「昔、あるお米屋さんに美しい娘がいました。
その父親が、お米を仕入れるときは大きな枡で買い、売るときは小さな枡で売っていました。
娘はやめてくれるように何回も頼みましたがやめてくれません。
悲しんだ娘は、この池に身を投じて龍となり、この池の主になりました。
それからというもの、毎朝早くまだ暗い頃、龍は娘の姿になり、水面を掃除しているということです。」