天草再発見

天草四郎の像

天草といえば、天草四郎がすぐでて来る。
その天草四郎についてはここでは省くが島内あちこちに四郎の像がある。
松島町パールセンター前の四郎像
五和町鬼池港の四郎像
大矢野町天草四郎公演の四郎像
愛のあまくさ村の丘に立つ四郎像

えびす像

天草市倉岳町宮田港には日本一のえびす像がある。
台湾産大理石を使い、台座3メートル、本体の高さ7メートルという巨大さである。
像の右側には「宝舟」が描かれ航海と家内安全を、左側には「打出の小槌」があり商売繁盛を、裏側には「鯛と稲穂」で豊漁、豊作を祈っている。
また、天草の民家には軒先や玄関先にも「えびす像」が海の方を向いて建てられている。
倉岳の大えびす像
軒先のえびす像
玄関先のえびす像
道路のえびす像 鯛を抱えている

ゆずり車線

天草地方を車で走っているとゆずりあい車線、「ゆずり車線」の文字がある。
一般道では「登坂車線」とか、「おそい車は」などと道路に書かれて居るが、天草では違う。
走っていて「ゆずっちゃおうかな」と思ってしまうのはボクだけだろうか。


その天草で、昨年ワンボックスカーが左カーブを曲がりきれずに、助手席の人が投げ出され死亡するという事故が発生した。
新しいガードレールが出来た。(4枚目の写真  右側が従来のガードレール)
ゆずり車線の標識
ゆずり車線終了の標識
ゆずりあいありがとうの看板
新しいガードレール左側

たこ街道

先日、かっぱ街道の話をしましたが、天草にはもう一つ「たこ街道」成る物があります。
天草市有明町の国道324号線を「たこ街道」と名付け、街道沿いの飲食店では、たこ料理を提供しております。
「たこ丼、たこ天丼、たこ飯、たこ八料理」など。
 幅4.5m、高さ3mのたこつぼからはい出てくるたこ入道のモニュメントは圧巻です。
 たこ供養塔は2本の手(足)で合掌する様が何ともユーモラスです。
又、近くの「道の駅有明」ではたこ関連グッズが所狭しと並んでいます。
たこつぼからはい出るたこのモニュメント
2本の手で合掌するたこ供養塔
たこの干物です。道路を走ると至る所で見られます。

いるかワールド

ホテル併設の「いるかワールド」はイルカのショーだけでなく、イルカと遊ぶことが出来る所です。
イルカと握手したり、キスしたり、さわったり出来ます。
金額も300円とリーズナブル。
ショーを観るだけのところが多い中でふれあえる所はここぐらいではないだろうか。
又イルカと一緒に泳ぐことも出来ます。
天草市本渡の「ホテルアレグリアガーデンズ天草」で体験出来ます。

残念ながら、いるかワールドは平成22年12月15日閉園して現在はありません。

イルカとのキスをしています。
イルカとのふれあい体験の順番待ちの風景です。
併設のペンギンブースでは餌やりの体験も出来ます。

楊貴妃伝説

昔、昔、新和の山の中腹に赤い柱の家があり、そこにそれはそれは綺麗な女人が住んでいたんだと。
ある時、村に原因不明の病がはやり、この美女がくれた「楊貴湯」という薬で村人は助かっただと。
美女の話では「自分は楊貴妃で国に兵乱が起きたので難を逃れてこの地まで流れ着いた。必ず迎えに行くという皇帝の言葉を信じて待っているのだ。」と。
何年かたったある嵐の夜に雷鳴が鳴り響き、ひときわ大きな雷とともに龍が舞い上がり大空の彼方へ消えていっただと。
村人達がかの家に行ってみると楊貴妃の姿は無かっただと。

この山を「竜洞山」と言い、「竜の穴」もある。

この家の跡に、平成18年村人の手で「楊貴妃像」が建てられている。

天草市新和町小宮地 龍洞山みどりの村 の近くです。
楊貴妃銅像の案内板
楊貴妃像

おっぱい岩

天草市二江から苓北町に向かう海岸に「おっぱい岩」の看板があり、海岸に行ってみると、写真のような岩が突然出現しました。
説明文によると、大昔、雲仙岳の噴火で飛んできた岩が長い年月をかけて海水の力によって浸食されたと思われるとのこと。
直径約1.5メートル見事な乳房までついている。
干潮時にしか見られません。
乳頭もある?
おっぱい岩
おっぱい岩の看板

かっぱ街道

栖本町河内地区の約4キロメートルの道路は「かっぱ街道」と呼ばれ、宮川にかかる橋の欄干にはかっぱ像が置かれている。
かっぱ像は「だんらんかっぱ」「すもうかっぱ」「子育てかっぱ」などテーマが決められている。
その表情を見るのも楽しい。
かっぱ街道のモニュメント
還暦記念のかっぱ像
ランドセルをしょったかっぱ像
かっぱ街道の説明板

観音の滝

上天草市教良木ダムの上流にある観音の滝は天然のウオーターシュライダーである。
この滝の中腹の大きな岩には、観音様が鎮座している。
この岩の右手より清水がこんこんとわき出ており、どんな干ばつの年でもこの滝の水は涸れる事がないと言う。
観音の滝全景
まるでウオータースライダー
観音様

鬼が城?

天草市御領地区から城河原地区に行く途中、突然朱塗りの鬼の金棒が置かれた岩山が出現する。
鬼が捨てた金棒なのか、興味をそそる。
中に入っていくと公園に成っており、鬼瓦が至る所に有り、鬼達が開いたであろう宴会などの場所を彷彿とさせてくれる。
鬼が城公園の入り口には金棒が
金棒と鬼が城?
巨大な鬼瓦

魚籃観音

天草町高浜十三仏岬の丘陵に魚籃観音の像が建立されています。
碑文に曰く「潮風かおる十三仏岬の丘陵に天草灘観光株式会社のご協力により私たち天草の漁民が永年の悲願であった魚籃観音の像が建立されました。
私たち人類は遠い遥かな昔から生命の始まりである海 此の大自然の恩恵に浴して今日迄育まれてまいりました。
そして天草灘一帯の奇岩怪石波禱には私たち祖先漁師の汗と労苦が浸み込んでおります。
私たちはこの万物の母なる海に感謝しこのすばらしい自然の海を後世に残し伝えなければなりません。
そしてこの大自然の大海原で不幸にして遭難されました物故者の霊を慰めこの海で働く人々の安全を祈願するとともに……」と記されている。        
魚籃観音像
招魚観音像
魚籃観音の説明文

閻魔様

天草市有明町大浦の「蓮華院浄土宗九品寺」にはエンマ堂があり、底には閻魔様が鎮座している。
初七日仏や二七日仏、三七日仏などもある。
蓮華院九品寺の山門
閻魔様
初七日佛や二七日佛

栖本かっぱ伝説

昔、大河内地区には大岩に囲まれた淵があったげな。
その淵になんさま力の強い河童がおったげな。
子供や、牛や馬を淵に引っ張り込んだり、通行人に悪さばしおったげな。
村の若か青年が河童に挑んだが、誰もかなわんだったげな。
そこで、困り果てた大河内の人々が、村一番の力持ちの「高山の伝吉」に河童を懲らしめてくれるようにたのんだげな。
伝吉は河童をやっつける自信はなかったけど、村人の頼みだけん断りきれんかったげな。
仏様の飯ば食いながら思案しおったら、はたと考えが浮かんできたげな。
いよいよ河童と相撲を取ろうと言う時になって伝吉どんが河童に相撲の仕切りの作法ば教えるというて、礼をさせたげな。
そしたら、河童の頭のサラから水がこぼれて河童は人通力を失ってしまったげな。
サラの水が無くなった河童は伝吉に投げ飛ばされてしもうたげな。
伝吉が「もう悪さばせんか。」というと、河童は「はい、こん川が逆に流れん限りは悪さはしません。」と約束ばしたげな。
これからは村人に悪さをする河童も居なくなり、村人も安心して通らるるごとなったげな。
かっぱ伝説の碑文
かっぱ伝説の碑文2

小ヶ倉観音

天草市栖本町の倉岳山の中腹に小ヶ倉観音がある。
観音堂の奥の岩肌に4つの梵字が刻まれておりこれが本尊とされている。
阿弥陀如来、勢至菩薩、観音菩薩、不動明王を示す梵字といわれ、1487年のものとされています。

小ヶ倉観音の看板
小ヶ倉観音の入り口
小ヶ倉観音の本堂

大河内の六地蔵

天草市栖本町大河内には六地蔵を祭った所がある。
そもそも六地蔵とは仏教の六道輪廻思想に基づき、生きてるもの全てが死後辿るという「地獄道」「餓鬼道」「畜生道」「阿修羅道」「人間道」「天道」においてそれぞれの苦しみを救うとされる六種の地蔵菩薩の事である。
六種の地蔵をそれぞれ一体ずつ築造して安置する方法と一つの石像物の六面にそれぞれの地蔵尊を刻んで安置する方法がある。
大河内の六地蔵は一つの石像物の六面に刻んでいる。
大河内の旧家、松本家が先祖子孫の菩提を弔うために文化6年(1809年)に建立したと言われている。
長野県善光寺でみた六地蔵は一体ずつ築造している。
大河内の六地蔵の碑
六地蔵の説明文
六面に刻まれた六地蔵

有明町大浦の六地蔵

生きているもの全てが死後辿ると言われる六つの迷いの世界に六体の地蔵が現れて衆生の苦しみを救うと言うことから六地蔵を祀ると言われています。
この地蔵は1603年から1610年頃佐賀県唐津方面の移住者が持ってきたと思われる「佐賀型」の石塔であると推察されています。
地持地蔵(両手に念珠を持つ)
陀羅尼地蔵(右手施無畏印・左手引摂印)
宝生地蔵(合掌)
鶏亀地蔵(右手錫杖・左手如意珠)
法性地蔵(両手で柄香炉を持つ)
法印地蔵(両手でとう幡を持つ)
旧暦1月24日と6月24日に地区の方々が祭りをされている。
六地蔵の説明文
六地蔵を祀っている社
社の中の六地蔵
社の中の六地蔵

油すましどん

「油すましどん」とは、椿油の精製の名人のことです。
「天草島民俗誌 浜田隆一著(1932年刊)に、民話として紹介されている。
それによると
栖本村河内と下津浦に草隅越えというところがある。
あるとき、一人の老婆が孫の手を引きながらここを通りかかり、「ここにゃあ、油瓶をさげたとん出よらいたちゅうぞ。(ここには、油瓶をさげたのが出てくるという話だよ。)」と言ったら、「今も~出るぞ~」と言って出てきた。
と書かれている。
油すましどんの看板
油すましどんのいわれを書いた看板
油すましどんの墓

妙見が滝

天草下島の苓北町から下田方面に向かう天草西海岸を通っていると、九州電力苓北火力発電所を過ぎたあたりの左手に妙見が滝がある。
「鳥居」と「社」と「滝」の組み合わせがよい。
妙見が滝の全景
鳥居と社
妙見が滝の鳥居と社と滝

高舞登山

天草五橋を過ぎて龍ヶ岳方面に道を取ってしばらくいくと、「高舞登山」の看板がある。
「たかぶとやま」と呼ばれる標高117メートルの山で、かっては「高太山」と呼ばれていた。
松島町阿村の干拓地や、天草五橋も眼下に望むことが出来る。
高舞登山の案内板
高舞登山から見る阿村

遠見山

天草市牛深の標高217.2メートルの山で、江戸時代の享保2年(1717年)に、異国船の監視や難破船の救助に備えるために「遠見番所」が設置された。
現在は頂上部が公園として整備されており、市民の憩いの場所ともなっている。
登山道路途中の2カ所の展望台からは牛深市街やはるか東シナ海や内海、外海に浮かぶ島々が一望出来る。
遠見山園地の案内板
遠見山展望所から見る牛深」公園のシンボルタワー
牛深市街地とハンヤ大橋

うしぶか公園

遠見山の中腹にあり、水源地跡の池の周りを修景した回遊式の日本庭園やアスレチック広場、テニスコートなどが整備されている。
展望所からの眺望は素晴らしく、眼下の牛深市街や、内海、外海に浮かぶ島々を見ていると、ゆったりとした気分になれる。
うしぶか公園の案内図
うしぶか公園の説明文
うしぶか公園展望台から見た牛深市街
うしぶか公園の噴水

天神山

天草市五和町鬼池から二江に行く途中から左手山手に天神山という風光明媚な所がある。
三条からは鬼池港が一望出来るし、対岸の長崎県口之津港も一望出来る。
山上には学問の神様「天神様」を祭った社がある。
合格祈願や、合格通知に来る人が結構いる。
また、国道から社迄の参道には、鬼池中学校の卒業生が桜の植樹をしており、桜の木一本一本に名前が書かれた標柱がある。
天神山参道入口の看板
天神山頂上への起点の看板
向こうに長崎県口之津港が見える。
眼下に鬼池港が見える。

荒尾岳遠見番所

天草初代の代官「鈴木重成」は寛永18年(1641年)外洋に面した冨岡、大江、魚貫崎の3カ所に遠見番所を設けました。
主な職務は南蛮船の監視、密貿易の取り締まり、難破船の処理で、番所には烽火台も設置されていた。
荒尾岳の番所は万治3年(1660年)に設置され、享保5年(1720年)の廃止まで密貿易の取り締まりなどに使われた。
烽火台には大量の柴や薪が常時用意されていた。
魚貫崎や対岸の長崎・樺島まで火の手が見えるように仕掛けられていた。
天草遠見番所の位置図 冨岡、大江、魚貫崎、荒尾岳
荒尾岳遠見番所の案内板
荒尾岳展望所からの眺め
烽火台の跡

古戦場 仏木坂

天正17年加藤清正が天草志岐城を攻めた時、志岐城の木山弾正と一騎打ちとなり、組んずほぐれつの状態であった。木山弾正の部下が駆けつけた時、弾正は清正を組み敷いていたが、弾正の部下が「殿はいずこ?」と問うたのに下の清正が「下だ。」と叫びその部下は弾正をやりで突き殺したのであった。
弾正の無念はいかばかりかと推察される。
古戦場の標柱
仏木坂の看板
弾正の無念さを唄った石碑
仏木坂の標柱

水の元観音

本渡と苓北町を結ぶ通称農免道路の頂上付近が茶屋峠である。
茶屋峠に「水の元観音堂」がある。
お堂の中にも観音様が祀ってあるが、お堂の裏手の山肌に観音様を祀っている。
このお堂は平成18年7月に地元有志のご奉仕で建てられている。
水の元観音堂の看板
お堂の中の観音様
観音堂の裏手の石像
11面観音様の真言

下津浦の六部様

有明町下津浦の第二有明橋の近くに六部様を祀っている所がある。
地元の人は六部様の事を「どっぶさん」と呼んでいる。
墓標にはかろうじて「一乗了儀」と読めるがその他の墓標は読めない。
線香やろうそく、そして花も手向けているので、地元の人の「どっぶさん」への思いは大変な物があるのだろう。
一乗了儀の墓(左側)
碑文も読めない。

蓮華台と無縁塚

天草市有明町大浦地区の天草東高校の西側に地区の墓地がある。
そこから更に西に行くと蓮華台と無縁塚がある。
蓮華台は江戸時代の建立とされ、土葬していた頃、葬送の儀が行われ最後の別れをする時に棺を安置したと言われている。
蓮華台の外側には「山城国紀伊郡京都産、近江屋伊三郎」と刻まれている。

寛政4年(1792年)4月1日雲仙岳眉山の火山性大崩落により有明海に大津波が発生し、肥前、肥後では1万5千人の人命が有明海に呑み込まれたと言う。俗に「島原大変、肥後迷惑」と言う。
又、天草では400余名が犠牲になったと言われている。
村々の海岸にはおびただしい亡骸が打ち寄せたといい、人々は追善供養や、流し潅頂を営み無縁塚を建立して霊を葬ったという。

この蓮華台と無縁塚には今でも地区の人がお参りをしている。
蓮華台の説明文
蓮華台
寄人さま(無縁塚)の説明文
無縁塚 今でも花と線香をあげられている

六郎次山公園

天草下島の本渡から牛深に向かう途中を深海方面に左折すると六郎次山公園に行き着く。
標高405メートルの六郎次山は別名「下島大観山」と呼ばれる。
眼下には御所浦、長島、獅子島や芦北海岸が望める。
付近一帯はミカンの産地でもある。
公園として整備され、新緑や紅葉の季節は家族連れでにぎわう。
六郎次山公園の説明文
六郎次山からの眺め
六郎次山から河浦方面を望む

十三仏堂

天草市天草町にある十三仏堂は、明治40年3月20日(陰暦)に小崎龍潤氏の建立である。
龍潤氏は健康がすぐれなかったため、神仏の加護を求め、四国巡礼の志を立て、高野山や京都の神社仏閣を巡礼し、十三仏の尊像を求めて建立した。
十三仏は初七日から三十三年忌までの忌日に行う追善供養に配した仏で、十五供に基づくものである。
不動明王(初七日)
釈迦如来(二七日)
文殊菩薩(三七日)
普賢菩薩(四七日)
地蔵菩薩(五七日)
弥勒菩薩(六七日)
薬師如来(七七日)
観音菩薩(百ヵ日)
勢至菩薩(一回忌)
阿弥陀如来(三回忌)
阿しゅく如来(七回忌)
大日如来(十三回忌)
御空蔵菩薩(三十三回忌)

ちんだら水

山肌から湧いてくる水を「ちんだら水」と呼んでいるが、上島で5カ所、下島で2カ所確認している。
まだあるとは思うが、知っていたら教えて欲しい。
上島では松島町今津知十橋から約3Km行った「宝幸水」、
教楽木ダムの観音滝の「祝口観音の水」、
倉岳町浦の湧き水、
有明町の広域農道の湧き水
栖本町中野の湧き水
深海町の湧き水
苓北町水の元観音の湧き水
これらは天草を旅する時の喉を潤すことができる格好の場所である。
祝口観音の水
深海の湧き水
広域農道の湧き水
栖本町中野の湧き水
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